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2014年 2月の園だより
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現在、年明け早々から、合間を見て、つままホール(1階)やぷれいオール(2階)で毬つきや縄跳びの練習に励んでいます。休み時間に顔を出しますと、「後ろ跳び出来たよ!」と飛んできます。すると、他のお子さんも負けじと「ぼく、片足跳びできるよ」とか「私は綾跳びできるよ」と集まって来て、目の前で披露してくれます。その度に「おっ、上手だね!」と褒めますと、本当に満足した顔つきで、次の子に場所を譲ります。私も嬉しくなる一瞬です。
片や、教室では百人一首や諺かるたの練習も佳境に入り、間もなく決勝戦が行われます。
一方、才能教室の2月15日の発表会「43回かたかごフェスティバル」に備えて、練習にも力が入って来ました。
このような幼少の頃の発表やその練習のことを、『国家の品格』で有名な藤原正彦さんは、「天賦の才能を開花させる幸運の積み重ねの時期」と評しておられます。
どういうことかと言いますと、大正中期に『類体論』という壮麗な理論を打ち立て世界を驚倒させた有名な数学者、高木貞治博士が幼少の頃、「両親が暇さえあれば、絵草子を見せたり、昔話を聞かせたりしたこと。信心深い母親が幼い博士をしばしばお寺参りに連れて行ったこと。そのため5歳の時分には親鸞聖人の御伝鈔を聞き覚え大方暗誦してしまったこと。隣に住んでいた医者が博士4歳の頃より漢籍、書道などを教えたこと。これらはこの上ない幸運と言えよう。幼い頃に算数や数学を学んだ形跡がない。むしろ読み聞かせとか暗誦、宗教心といった数学とは無関係に見えることが、後の独創性と関係があるのかもしれない。これは洋の東西を問わず見られる特徴である。」と述べておられます。
高木博士は「ドイツ留学後、博士論文を仕上げた28歳から40歳に至るまで論文を一つも書いておられません。日本より50年進んでいるドイツ数学に圧倒され独創への自信がなかった博士が、第一次大戦によりドイツの本や論文が手に入らなくなり、「学ぶ」から「創る」へ切り替えざるを得なくなり」ました。
そして苦節5年間、「ドイツ数学を呑み込んでしまう『類体論』を完成させ、20世紀数学の巨匠ヒルベルトが予想した理論をはるかに超える」ものだったそうです。
このことは、幼少のときに何々にさせたいと親の一方的な思いで子どもを仕込む(そのことで、時にはストレスを抱えさせる)よりは、むしろ将来就く職業に無関係でいろいろな体験をさせておくと、子どもの天賦の才能や独創性を育むことを示しているお話です。いい本に出合いました。
(藤原正彦『この国のけじめ』(文芸春秋)PP127~129)
園長 野田 武