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2022年 10月の園だより
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園だより 10月号
幼保連携型認定こども園
かたかご幼稚園かたかご保育園
園長 野田 武
臥薪嘗胆
標題の「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」という四字熟語を久しぶりに聞きました。私の高校時代の応援歌で 「臥薪嘗胆幾度か 年を重ねて今日ここに 新興気鋭の伏高選手 鉄腕振るうはこの時ぞ」と、野球の試合の応援の時に、よく声高らかに歌いました。
この「臥薪嘗胆」が、10月3日(月曜日)、神宮球場で、ヤクルトスワローズの村上宗隆選手が、巨人の王貞治さんが持っていた日本選手のシーズン最多記録を58年ぶりに塗り替える56号のホームランを打ち、4打数2安打で打率 .318、打点134と三冠王の偉業も22歳の若さで達成したのですが、彼の座右の銘だったのです。
この言葉は、九州学院高校の恩師、坂井宏安監督(当時)から贈られた言葉でした。
九州学院高校時代の村上選手は、1年から一塁手のレギュラーに定着し、2015年の夏の熊本大会で優勝。この時に4番打者として起用され、初打席で満塁ホームランを打つというデビューを果たしました。同年夏の甲子園大会で4番打者として出場するも、石川県の遊学館高校と対戦したが無安打に終わり、チームも初戦敗退。1年秋より捕手を務めましたが、2年夏と3年夏ともに、熊本大会決勝で秀岳館に敗れました。通算52本塁打と並外れた長打力をもつスラッガーでしたが、甲子園出場は1年夏の1回だけでした。(ウイキペデイア参照)
同学年の早稲田実業の清宮幸太郎(現・日本ハム)、履正社の安田尚憲(現・ロッテ)、広陵の中村奨成(現・広島)達の影に隠れ、18歳以下の日本代表入りを逃がす悔しさを味わいます。(以下、ニッポン放送、NEWS&NLINEより引用)
その時に坂井宏安監督が言われた言葉が「臥薪嘗胆」だったのです。
彼らはあれだけ甲子園で活躍した。だけど、今からはそれが目標じゃない。
17歳でプロに入って10個以上、20個以上の先輩を押しのけていかないといけない。
そして最終的には日本代表のトップチーム、一番上の日の丸をつけなさい。
そのためには「臥薪嘗胆」だ。
そして、坂井監督は、臥薪嘗胆の言葉だけでなく、将来、球界を代表する打者・村上を育てるため、捕手として起用します。(彼は幼少期からの持ち前の「自己啓発力」を発揮し、監督の期待に応えます。「臥薪嘗胆」も「自己啓発力」も最近よく言われている「非認知能力」の一つで、村上選手のサクセスストーリーはその典型的な実例ですね)
捕手を任せたのは、考えて成長してほしかったから、「捕手は投手コーチのつもりでやれ」と伝えた。
投手を勉強し、特徴や癖を見たり、タイミングを盗んだり。
初球がここなら、じゅあ次はこうだ、外れても次はこうしようと対応を変えたりと工夫できるようになっていった。
このようにして高校時代から野球に関しての頭脳を磨き、配球についても深く考えることで、抜群の選球眼を身に着け、コーチ陣もそれを高く評価しています。
恩師の言葉通り、悔しさを糧に精進を重ね、日本代表の侍ジャパンの一員としてオリンピクに出場、金メダル獲得に貢献し、史上最年少で56号&三冠王を達成したのです。
園長 野田 武